その仕事で一番大変なところ

芸人で一番大変なところを経験者に聞いてみた


普通の生活するのが一番大変です。
毎週の如くテレビ・ラジオに出られる一流の芸人になるまでに、定職を持たず複数のアルバイトを掛け持ちしながらの生活なので、食費や家賃・交際費を抑えなければ生活できませんでした。
芸人としての月収3000円は当たり前で、食事もパンの耳やスーパーの売れ残り、単価の安いソバ・うどんを1日1食で我慢していました。
コンビを組んでステージに立っても客は2〜3人くらいでクスリとするくらいで売れず解散。ピンとしても泣かず飛ばずの状態でした。
「もう自分にはお笑い(芸人)は無理だな」と思い、芸人活動を辞め、普通に会社員として働き始めました。

 

やはりこの先何年も芸人として売れ続けるには、24時間365日売れ続けるための努力は必要だし、誰からも愛される人柄であることが大事てすね。
一度売れた芸人になったから威張り続けるのではなく、誰に対しても謙虚な姿勢(握手をしたりサインをしたり)は続けなければならないな、と思います。

 


全く売れることもなかったので、世間からは「芸人」とは認めてもらえないかもしれません。ですが、大学卒業後、最初の仕事を辞めた後、2年間だけ芸人をやっていました。JCAの養成所に入り、そのツテで何度か小さな小さな舞台に立たせていただいたこともあります。養成所の同期とコンビを組んでやっていました。
売れている芸人さんの感じる大変さは、全く違うものであると思います。ただ、全く売れなかった私にとっていちばん大変だったのは、自分の進んでいる方向が合っているのかもわからないまま、金と時間と若さを犠牲にし続けることへの恐怖でした。芸人といえば、あっけらかんと何も考えていないようなイメージがあるかもしれませんが、内心は焦りと絶望と不安でぐちゃぐちゃでした。例えるならば、全く商品が売れない雑貨屋を開いて、土地代だけ払っているような感じです。そこに置いて並べている商品は全て手作り、おまけに自信があるわけでもありません。そんな状態で、周りは競合他社だらけです。売れてもいないのに、出し抜かれ、叩き潰されていきます。
会社を辞めた時、俺は自分の力でやっていく、と意気込んだものですが、こんなに辛いものだとは思いませんでした。今まさに花開こうとしている芸人さん、売れていないのに頑張っている芸人さん、あれだけの不安を背負いながら、人前でボケて笑わせるなんて、並の精神力ではないと感じます。とにかく、気持ちが辛かったです。

 


芸能人と聞こえは良くとも、芸人は悲惨と揶揄されている芸能界では、芸人さんの立ち位置は、非常に大変らしく、売れるまでは、苦難の日々と言われ、最初で厳しいのは、収入です。
仕事が無ければ無収入で、アルバイトなどしなければ、ならず、売れなければ、貧乏生活と非常に厳しいもので、多くの人々は、理想と現実の狭間で、悩む事となります。
芸人さんなら、有名な俳優さんとお知り合いになれるチャンスがあると、そんなことはなく、芸人ならば、売れていくまでは、ほとんどが下っ端扱いと、実に過酷なのです。
華やかな世界で活躍出来るのは、一握りと言われ、自分はその一人だと信じ、芸人になるも、現実は非常であり、求められていくのは、番組に必要な人材になる強要であり、売れる為に、日々の努力は必要不可欠で、また、売れているからと、胡座をかくことも許されない世界である芸人は、常に努力の世界でしかなく、華やかさに囲まれる為に、様々なモノを犠牲にしなければ、いけない世界なのです。

 


一番大変なことは、何といっても芸人の仕事だけで食べていくことがほぼ不可能なことです。芸人だけではありませんが、芸能界でテレビに頻繁に出れるような人は宝くじに当たった方々です。

 

そもそも生活をしていくどころか仕事をもらうこと自体がものすごく大変です。なぜかは単純で、需要以上に今は芸人があまりにも多すぎて倍率が高すぎるからです。また、今の時代はYoutubeなどの動画サイトの普及でいくらでもお笑いの画像を見ることができ、客の目も肥えています。芸人一人一人のレベルも若い人ほど昔とは比べ物にならないほど高いです。

 

やっとのことで仕事を得ることができても、ギャラはほとんどの仕事が信じられないくらい安いです。100円にもならない仕事も当たり前です。なので、99%の芸人はバイトをしなければ生活が成り立ちません。

 

私は10代後半から20代まで、いくつものバイトを掛け持ちしながら、芸人を志していましたが、結局テレビには1回しか出ることができず、後は外回りの仕事だけしかできませんでした。結局30歳で完全に芸人を断念しました。そういった人間がこの世界の99.9%だということを踏まえて、若い方は生半可な気持ちで目指してはいけない職業です。

 


安定性がないことが一番の不安要素だと思います。お客様の前にでる機会は、努力さえ続けていれば与えられるわけではなく。技術以外の、センスや勘、時には見た目なども大きく影響します。大きなイベントやステージに出られるのは同業者の中でもごく一部であり、そこに出る機会を得られない芸人仲間は、いわゆる「ギャラのある仕事」ではなく、無料に近い金額で出演するイベントや、ストリートなどで日銭を稼ぎつつ、アルバイトも続けています。もう少し売れてきた芸人は芸人としての収入一本で暮らしていけていますが、だいぶ数は限られます。
経済が悪くなると日常生活に必須ではない「エンターテインメント」「娯楽」は真っ先に生活から削られていきますので、すぐに収入に大きな影響が出ます。路上や小劇場などでの公演はもちろん、売れている芸人たちが出演するような大きなホールや商業施設でのイベントまでもが原則中止となると、テレビ出演のない芸人たちは基本的に収入ゼロの状態で生活しなくてはなりません。失業保険が降りるわけでもなく、リモートワークに切り替えられるわけでもなく、ボーナスや退職金等もないため、その分を自力で稼げない芸人は生活が本当に厳しいと思います。

 


ネタ作りが1番苦労する漫才師

 

僕は、今から10年前の22歳の時、有名なお笑い会社に所属していた事があります。
養成所に入って相方を見つけコンビを組み、小さな劇場などで漫才を披露して「スター」を目指していました。
しかし、現実は厳しく活動期間を約1年で終わりを迎えます。
当時、大変な事と言えば、「アルバイト」を一日3つ行い合間に「ネタ」を考える事です。

 

中でも、1番大変なのが漫才のネタ作りになります。
漫才師は、ネタが命になり面白くなければ、ファンが付きません。
僕のコンビは、主に僕がネタを考えて作るパターンです。
観客にウケるネタ、笑ってくれるネタを毎日考える日々を送ります。

 

ネタ作りは、アルバイトが終わってから行うため夜10時ぐらいから考えてノートに書いて行きます。
そのため、寝るのはいつも深夜12時を回り寝不足でしんどかったです。
他の漫才コンビと被らないネタを考えるため、アルバイト中も人間観察をしたりしていました。
また、生活の中に面白い出来事がないか、常に街の中を探索する事も。
お金もないため、汚れて破けたスニーカーを4年履いていました。

 

アルバイトの合間に、本屋に行きネタ探しをする事もあります。
気づいたら、エロ本に気を取られ夢中になってしまいネタ作りが出来ない日も。
しかし、ネタ作りは簡単ではなく劇場スタッフに

 

「あのネタ、全くウケてないぞ。そろそろ違う仕事するか?」

 

と、キツイ一言を言われた事もあります。
結果、1年後には、ウケるネタ作りが出来なく漫才師から転職をしました。
漫才師からスターになるには、簡単じゃなく才能が必要と実感した僕です。

 


理不尽が多すぎること、真面目にやっても馬鹿を見ることが多いこと。
これが一番つらかったです。
例えば、コンビを組んでネタを書くのはすべて自分、何日も練習して完璧にセリフだって覚えた!!そんな自分より
当日までろくに稽古もせず本番もセリフを間違えてばかりの相方のほうが評価されてしまったり。
周りを見ても、努力している人や真面目な人ほど評価されず、不真面目でも愛嬌のある人が好かれ結果的に評価されていました。

 

自分の体験談としては、2回公演の先輩の舞台に前説として私と同期の2人がそれぞれ選ばれました。
真面目派な私は話の構成もしっかり考え完璧に暗記もして、当日もそつなくこなしました。
一方、真面目さには欠けるが愛嬌たっぷりの同期は
「えーっと」「あれ?」なんて詰まりながらほとんど決められたワードも言わずに終了。
でも悲しいかな、私の時は真面目な顔のまま「公演前の説明」として聞いていたお客さんが
同期には大うけ・・・。

 

これが現実でした。
ネタの作り方、声の出し方、動き方。
いろいろなことを研究して学んで努力しても
「愛嬌」たったひとつの違いで結果が決まる・・・そんなこともあるのです。

 

当時、今では国民的スターとなった芸人さんのエピソードを聞きました。
その方は養成所に通っていた際、たまたま来校していたプロデューサーが廊下で横を通ったに
「おはようございます!!!!!」と大きな声で明るく挨拶をしたところ
「あの子いいねぇ」と声を掛けられオーディションに呼ばれ、その番組がきっかけでブレイクした。
そう、挨拶ひとつでスターへの切符を手に入れられる可能性も秘めているのです。

 

このエピソードを「理不尽だ」と感じるだけの方は芸人を目指すことは諦めたほうが良いでしょう。
逆に「挨拶が夢につながるかもしれないなんてワクワクする!」と少しでも思えたら・・・芸人を目指してみる素質、あるかもしれません。

「お前に正社員は一生無理」

こういったパワハラを上司にされ続けた僕は、入社3か月目で転職を決意。絶対に見返してやると思いました。

現実は過酷でしたが。

  • 15社に書類送付
  • 書類選考に通ったのは4社だけ
  • 最終面接まで行ったのはわずか1社

でも、ある方法に気づいた結果、年商52億円企業の正社員として働いています。かつての僕のように傷のある経歴で苦戦している方のみご覧ください。

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